ざわり。
ふいに立ち上った喧噪に、閉じていた瞳を開く。
漆黒の瞳をスっと眇めて、周囲に油断なく視線を送ると、長年の経験から、どこかキナ臭
い空気を感じ取った雲雀は、寄りかかっていた車のドアから背を離し、意識を研ぎ澄ます。
「…恭さん…?」
そんな雲雀の様子に気づいた草壁が、訝しげな視線を向けながら雲雀の背後に寄り添った。
「どうかしたんですか?」
ざわり。
再び、微かな喧噪が立ち上る。
「……」
気配を辿るように視線を泳がせ、狭い裏路地への入り口をひたりと睨みつける。
「哲。僕はちょっと向こう見てくるから。君はここで綱吉たちを待ってなよ」
背後に控えた草壁にだけ聞こえる声で呟いて、ボンゴレ10代目ファミリー最強の守護者
は、気配を殺してゆっくりと歩き出した。
堅苦しい会合から解放された綱吉は、筋肉を解すように大きく伸びをして。
ほっと安堵の溜息を吐きだした。
巨大マフィア・ボンゴレの10代目ボスとして、同盟ファミリーとの会合を終えた綱吉は、
のんびりとした足取りで迎えが来ているだろうホテルのロータリーに歩いて行く。
そんな綱吉の背後には、中学の頃から常に側にいるスーツ姿の元家庭教師がひっそりと寄
り添っている。
10代目を名乗るようになってからも、何かとマフィアらしくないところのある綱吉をお
目付け役として常にフォローしながら、ファミリーの運営に携わっている元家庭教師は、
思わず気を緩めた綱吉の様子に小さく舌打ちをして咎めるように声をかけた。
「おいツナ。気を抜くんじゃねぇ!」
綺麗に整えられたホテルのロビーを歩きながら、背後から聞こえてきた声にびくりと肩を
揺らした綱吉は、誤魔化すようにへらりと笑って後ろを振り向いた。
「…リボーン…少しくらいいいじゃんか…」
──ディーノさんに会えるのは嬉しいけど、会合って疲れるから苦手なんだよなぁ…。
困ったように眉を寄せて、苦笑を浮かべて。
昔と変わらずに厳しい元家庭教師の顔色をうかがった。
そんな綱吉に、思わず深く溜息を吐きだしたリボーンは『せめて車に乗るまでは我慢しろ』
と最大の譲歩をして。
トレードマークの黒い帽子を目深に被りなおした。
きっちりとスーツを着込んではいても、まだまだ幼い感じのするボスから目が離せずに、
リボーンをはじめ、守護者の面々も過保護なくらいに世話を焼いている。
──まぁ、それがツナの魅力でもあるんだろうがな…。
そんなことを思いながら、リボーンは諦めたような溜息を吐きだして、綱吉とともにホテ
ルの外に出る。
そうして。
神経を研ぎ澄まし、ささいな殺意や悪意をも見逃さないようにと、辺りに視線を巡らせた。
会場になっているこのホテルの周囲にはファミリーの精鋭を配置してあるし、事前に下調
べもしてある。
そして、ホテルへの送り迎えには最強の守護者である雲雀を指名し、さらには、常に自分
が傍にいることで万が一にも綱吉に怪我を負わせるような事態にならないように、細心の
注意を払っている。
ぐるりと周囲を見渡して、特に異変がないことを確認し、改めて前方を歩く綱吉に視線を
向けたリボーンは、ボスが浮かべる満面の笑みに思わず脱力してしまった。
「ヒバリさん! ただいまです!」
ホテルの正面入り口からほど近い場所にある一台の車を見つけた途端に、蜂蜜色の瞳をき
らめかせてた綱吉は、背後で渋い顔をしているリボーンのことも忘れてにっこりと微笑ん
で。
止めてある車のドアに寄りかかって佇んでいる雲の守護者の元に小走りに駆け寄って行っ
た。
嬉しそうに駆け寄ってくるボスの姿に、思わず微笑みを浮かべた雲雀は、車から離れて綱
吉を迎えると、ふわふわの髪をくしゃりと撫でた。
その手の感触にくすぐったそうに肩を竦めた綱吉は、自分を見下ろしてくる漆黒の瞳を覗
き込みながら、申し訳なさそうに眉を下げた。
そうして。
「遅くなってすみません。ずいぶん待たせちゃいましたよね?」
そう言って謝罪して。
上目づかいになりながら、ちらりと雲雀の顔色を窺った。
その幼い仕草に微苦笑を浮かべた雲雀は、綱吉の背後で諦めたように溜息をついているリ
ボーンをちらりと一瞥してから、再び綱吉に視線を合わせた。
「おかえり、綱吉。跳ね馬とはゆっくり話せたかい?」
そう言って、優しく微笑んで。
蜂蜜色の瞳を覗き込んだ。
そんな雲雀ににっこりと微笑んだ綱吉は、『はい!』と元気よく返事を返し、兄弟子であ
るディーノとの会話を嬉しそうに話しだした。
同盟ファミリーのひとつであるキャバッローネを束ねるディーノは、綱吉と同じようにリ
ボーンの下でボスとしての教育を受けた兄弟子で、昔から綱吉の良き相談相手になってい
る。
とはいえ、お互いに【ボス】としての立場も仕事もあるせいで、なかなか2人で会うこと
がでずにいるらしく、こういった会合で顔を合わせた時は、解散後に2人で話し込んでし
まうことが多々あって。
今日も、会合自体はとっくに終了し、同盟ファミリーの面々が帰った後に師弟3人でまっ
たりとした時間を過ごしてきてしまったのだ。
楽しそうに話をする綱吉を微笑ましく思いながら、小さく笑みを零した雲雀は、再びくし
ゃりとボスの髪を撫でる。
そうして。
「綱吉」
少し低めの声で自分よりも小柄なボスの名を呼んだ。
「─…?」
「──…」
その真剣な声音に、何かを感じ取った綱吉とリボーンは、ふいに表情を引き締めて、雲の
守護者の綺麗な顔をじっと見つめて、静かに次の言葉を待った。
そんな2人の様子を確認した雲雀は、自分と同じように車外で待っていた草壁を小さく呼
ぶと、自分の体を引いて綱吉に車内を見せるために静かに車のドアを開けさせた。
並盛町の地下深くに存在するアジトに戻った綱吉たちは、医務室のベッドで眠る少女を見
下ろしながら、困ったように溜息を零した。
まだ幼さの残る顔立ちをした少女は、10代後半くらいだろうか。
細い体のあちこちから覗く真っ白な包帯がとても痛々しくて。
「ひとつひとつの傷はそんなに大きくはなかったから命に別状はないけれど、数が数だか
ら、完治までは大事をとったほうがいいかもしれないわね」
そう言って、静かに眠る少女の黒髪をそっと撫でたのは、運び込まれた彼女の傷を治療し
たビアンキで。
一流の病院にも引けを取らないような設備を整えた地下アジトの医務室で、ひとりの少女
を囲んでいる仲間たちの顔をゆっくりと見渡した綱吉は、集団から少し離れた場所で、医
務室の壁に背を預けて成り行きを見守っている雲雀と、その傍に控えている草壁に視線を
向けた。
「…で。このこ、どうしたんですか? ヒバリさん?」
その声を引き金に、医務室に集まっていた全員の視線が悠然と構えている雲雀に集中した。
これだけの視線を集めても動じることもなく、小さく肩を竦めることで詰問じみたボスの
視線をやり過ごすと『さぁね…』とだけ言って真っ白なベッドで眠る少女に視線を向けた。
「…てめぇ、雲雀! さっさと10代目の質問に答えねぇか!!」
「拾うだけ拾ってだんまりかよ…。さすがにソレはひでぇんじゃねぇの?」
途端に抗議を口にしたのは、中学時代からの綱吉の親友で、いまではすっかりマフィアの
幹部らしくなっている嵐と雨の守護者で。
こと仕事に関しては優秀な右腕でもある獄寺は、昔から何かと雲雀にくってかかることが
多くて、嵐と雲の守護者の口論はすでにアジトでの日常と化している。
もっとも、口論というより獄寺が一方的に雲雀に突っかかっているというのが、綱吉をは
じめとした全員の一致した意見なのだけれど、当の獄寺本人は『ヒバリのヤローが10代
目を煩わせるのが悪い!』と言って譲らない。
そして、普段ならば苦笑を浮かべながらもそんな獄寺を宥めるはずの山本は、今回は獄寺
の味方らしく。
愛器を取り出して『さっさと言わねぇなら、果たす!』とすごみだした獄寺を止めること
もなく、真剣な表情でまっすぐに雲雀を見つめている。
その鋭い眼光は、同盟ファミリーやマフィア界に名を轟かせる【ボンゴレの2大剣豪】と
して、僅かに剣呑な雰囲気を纏っている。
「隼人兄も武兄も落ち着いてよ。あんまり騒ぐとこのこ起きちゃうよ?」
「そうだよ、二人とも。それに、このこを見つけたのは確かに雲雀さんだけど、連れてき
たのはオレなんだし」
今にも飛びかかりそうな獄寺と、微かな怒気を孕んだ視線を向ける山本を見て、慌てて止
めに入ったのはビアンキと一緒に少女の傷を手当てしていたフゥ太と、このままだと本気
で流血沙汰になりかねないと危ぶんだ綱吉で。
苦笑いを浮かべたフゥ太と、困ったように眉根を寄せている綱吉の顔を交互に見つめた獄
寺は、『10代目がそうおっしゃるなら…』と、しぶしぶと愛器を仕舞い込んだ。
その様子を確認した綱吉は、軽く息を吐きだして、今度は剣呑な雰囲気を纏ったままの山
本に視線を向けた。
すると、特に騒ぎ立てるでもなく、武器を取るでもなく、ただじっと雲雀に鋭い視線を送
っていた山本は、綱吉のその視線を受けて、軽く肩を竦めて見せた。
まだ幼さの残る少女とはいえ、素性の知れない者を、このアジトに、綱吉のそばに連れて
きたことに対して若干の憤りを感じていたのだが、少女をここに連れてきたのが綱吉本人
だと分かったうえに、大切なボスを困らせるのは本意ではないので『ツナがいいなら』と
あっさりと怒気を霧散させた。
親友たちが大人しくなったことにほっと安堵の溜息を吐きだした綱吉は、そっと視線をず
らして、相変わらず悠然と佇む雲雀に微苦笑を浮かべた。
「雲雀さんも、せめてこのこを連れてきた理由くらい教えてくださいよ」
そう言って眉根を寄せて。
漆黒の瞳をまっすぐに見つめた。
そうして。
ほんの数秒、お互いに見つめあって。
絡めた視線を遮るように、ボンゴレ最強の守護者はふとその瞳を閉ざし、小さく息を吐き
だした。
「ヒバリさん?」
そんな雲雀に小さく呼びかけた綱吉は、疑問を投げかけるように軽く首を傾げると、雲雀
の次の言葉をただ静かに待った。
ほんの少しの沈黙の後。
ゆっくりと瞳を開いた雲雀は、さも面倒くさそうに溜息を吐きだした。
そうして。
「…あのホテルの側でその子が変なのに追われてたんだよ…」
そう言って、静かに眠る少女に視線を向けた。
その視線に追うようにして綱吉もベッドで眠る少女に視線を移すと、閉ざされている瞼が
微かに震えた。
「あ…!」
その小さな変化に思わず声をあげると、それに触発されたように少女の瞼がふるりと震え
て、ゆっくりと開いて行く。
ぼうっとした様子で周りを見回して。
二度、三度と瞬きをして。
けれど、いまだ状況が呑みこめていないようで。
そんな少女の様子を見つめていた綱吉は、穏やかに微笑みながら、目覚めたばかりの少女
の瞳をそっと覗きこんだ。
「…具合どう? どこか痛いところはない?」
驚かさないように細心の注意を払いつつ、優しく声をかけると、綺麗なブラウンの瞳を大
きく見開いて。
少女は、がばり、と勢いよく上体を起こした。
「うわっ」
覗きこんでいたせいで危うく少女にぶつかりそうになった綱吉は、小さく悲鳴をあげて慌
てて上体を逸らして飛びのいた。
そんな綱吉に少女も驚いたような瞳を向けて。
そうして。
自分の寝ていたベッドを囲むようにして集まっている大勢の人間に気付いて、びくり、と
肩を揺らして、怯えたような表情を見せると、助けを求めるようにぐるりとまわりを見回
した。
「恐がらなくていいのよ? ここは安全だから」
少女の怯えを和らげようと、ビアンキが静かに微笑んで声をかける。
すると、忙しなく辺りを彷徨っていた少女の視線がビアンキに向けられて。
その視線がビアンキの背後に向けられた途端に、綺麗なブラウンの瞳を大きく見開いた。
「…? どうかしたの…?」
そんな少女の様子を訝しげに思った綱吉が彼女の視線をたどると、そこには、ベッドから
少し離れた壁際に佇む雲雀の姿があって。
「ヒバリさんがどうかした…?」
きょろきょろと二人を見比べて、驚いた様子の少女に再び声をかける。
けれど、少女は綱吉の問いに答えずに、いままで横になっていたベッドから飛び降りると、
自身の怪我も気にせずに雲雀のそばに駆け寄った。
「…ぇ?」
「ちょっと! まだ動いちゃ…」
綱吉たちが制止するのも聞かずに、ついさっきまで意識のなかった人間とは思えないほど
の勢いで、ただ成り行きを見守っていた雲雀のそばに駆け寄った少女は、恐らく彼女が安
全だと認識している雲の守護者の背後に隠れるように、その腕に抱きついた。
-continues-
蒼天 竜 様へ。
いろいろと途中なのにも関わらず、うっかり書きだしてしまった押し付け作品です^^;
最初の方だけ構想練って、あとはキャラたちが動くのに任せようという勢いだけの作品ですが
よかったら貰ってください><
2009.4.8
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